倉元製作所JP:5216

時価総額
¥61.4億
PER
-12.3倍
フラットパネルディスプレイ用ガラス基板、半導体加工、不動産賃貸、業務用支援ロボットを手がける事業。
2024年11月株式会社アイウイズロボティクスの全株式を株式交換により取得
2024年10月有限会社UNOクォーツの火加工事業を会社分割により取得
2022年04月東京証券取引所の市場区分の見直しにより、東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)からスタンダード市場に移行
2019年03月株式会社倉元マシナリーの全株式を譲渡
2016年12月三重工場を閉鎖
2016年01月株式会社FILWELの株式を譲渡
2013年12月京都オフィスを廃止
2013年07月東京証券取引所と大阪証券取引所の統合に伴い、東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に株式を上場
2011年11月京都市下京区内に大阪オフィスを移転し、名称を京都オフィスに変更
2011年07月韓国駐在員事務所を廃止
2010年04月ジャスダック証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴い、大阪証券取引所JASDAQに株式を上場
2009年11月東京都千代田区内にて東京オフィスを移転
2009年11月大阪市北区内にて大阪オフィスを移転
2009年09月ヘルツ電子株式会社を解散及び清算
2009年08月桃生工場を閉鎖
2009年02月株式会社セルコの株式を譲渡
2008年10月大阪市北区に京都オフィスを移転し、名称を大阪オフィスに変更
2008年04月韓国ソウル市に韓国駐在員事務所を移転
2008年03月岩手県北上市のBPセンター用施設を譲渡
2007年12月東海工業株式会社の株式を譲渡
2007年12月株式会社LADVIKの株式を譲渡
2007年06月SCHOTT KURAMOTO Processing Korea Co., Ltd.の株式をドイツSCHOTT社に譲渡
2007年05月株式会社倉元マシナリー埼玉事業所を閉鎖
2006年12月株式会社倉元マシナリーと三友商鋼株式会社が合併
2006年11月韓国駐在員事務所を韓国龍仁市に設置
2005年11月ドイツSCHOTT社と合弁会社SCHOTT KURAMOTO Processing Korea Co., Ltd.を韓国に設立
2005年03月株式会社FILWELがカネボウ株式会社より人工皮革及び精密研磨布事業を譲受け
2005年03月東京都千代田区に東京オフィスを移転
2004年12月日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場
2004年11月株式会社クラモトハイテック・松新精密株式会社・株式会社カネサン製作所の3社が合併し、商号を株式会社LADVIKに変更
2004年11月人工皮革及び精密研磨布事業を目的とし、株式会社FILWELを設立
2004年09月岩手県北上市にBPセンター(Business Propulsion Center)用施設を取得
2004年03月株式会社カネサン製作所の株式を取得
2001年07月宮城県栗原郡若柳町に若柳第5工場を建設し、カラーフィルタ・ブラックマトリックス用メタル膜の加工を開始
2001年03月三重県久居市に三重工場を建設し、カラーフィルタ上ITO成膜加工を開始
2000年05月松新精密株式会社の全株式を取得
2000年01月栗原スプリング工業株式会社と株式会社ナンパックスが合併し、商号を株式会社クラモトハイテックに変更
1999年11月株式会社倉元マシナリーの株式を取得
1998年08月三友商鋼株式会社の全株式を取得
1998年04月株式会社セルコの全株式を取得
1998年03月株式会社ナンパックスの全株式を取得
1998年03月京都市下京区内にて京都オフィスを移転
1997年08月栗原スプリング工業株式会社が東海工業株式会社の全株式を取得
1997年02月ヘルツ電子株式会社の全株式を取得
1996年12月栗原スプリング工業株式会社の全株式を取得
1996年07月宮城県栗原郡若柳町に若柳第3工場を建設し、TFT及びSTN液晶ディスプレイ用ガラス基板及びカラーフィルタ基板の加工を開始
1996年02月東京都中央区に東京オフィスを移転
1995年05月本社を宮城県栗原郡若柳町武鎗字花水前へ移転
1995年04月宮城県栗原郡若柳町に若柳第2工場を建設し、TFT液晶ディスプレイ用ガラス基板の加工を開始
1995年01月日本証券業協会に株式を上場
1992年03月京都市下京区に京都オフィスを設置
1990年06月宮城県桃生郡桃生町に研磨加工専用の桃生工場を建設し、STN液晶ディスプレイ用ガラス基板の加工を開始
1990年05月東京都港区に東京オフィスを移転
1988年05月岩手県西磐井郡花泉町に花泉工場を建設し、STN液晶ディスプレイ用ガラス基板の加工を開始
1987年09月東京都千代田区に東京オフィスを設置
1982年06月本社・若柳工場を宮城県栗原郡若柳町武鎗字鹿ノ沢へ移転
1980年08月有限会社倉元製作所を組織変更し、株式会社倉元製作所(資本金5,000千円)を宮城県栗原郡若柳町武鎗字坊ヶ沢に設立
TN液晶ディスプレイ用ガラス基板と複写機反射ミラー用ガラス基板の加工を開始
1976年04月液晶ガラス基板及び複写機反射ミラー用ガラス基板の加工を開始
1975年10月宮城県栗原郡若柳町武鎗字坊ヶ沢にて有限会社倉元製作所(出資金5,000千円)を設立